西尾ゆう子 nishio yuko
小学生のころ、高校の生物教師だった父親と散歩中にカヤネズミの巣に出会う。「大阪市立自然史博物」の観察会で40年ぶりに再会し、「久住牧野の博物館」の研究を知り、独特の営巣習性を観察中。1958年生まれ。猪名川町在住。
2014年9月15日:寄稿5 世界史の中のカヤネズミ 西尾ゆう子
1.『セルボーンの博物誌』
18世紀のイギリスでセルボーンの副牧師を務めていたギルバート・ホワイトが、草で編んだ小さな巣を造るネズミのことを書簡に記しました。それらの書簡をまとめた『セルボーンの博物誌』(1789年)により、カヤネズミは、世界中に知られることになります。
ただし、カヤネズミを最初に記載したのは、ドイツの旅行家パラス(1741~1811)でした。パラスはロシア一帯を広く探検し、「開けた野原にたくさんいる小さなネズミ」のことを記しました。現在、カヤネズミの正式学名にはパラスの名が入っています。
カヤネズミらしきネズミの存在は、古代から知られていたようです。紀元前四世紀に南イタリアのメタポントゥムで鋳造されたコインには、麦の葉先に乗る小さなネズミの姿が刻まれていました。中世ウェールズで成立した物語『マビノギオン』にも、カヤネズミらしきネズミが登場します。このネズミはとても小さく、小麦の茎をするすると登ると穂を噛み切って逃げていきました(写真①)。
近代の欧米では一般市民も博物学に親しむようになり、身近な場所に暮らしていたカヤネズミについての記録が増えていきます。オランダにあるライデン博物館第二代館長を務めたシュレーゲルも、カヤネズミについて興味深い報告を残しました。シュレーゲルはカヤネズミが冬に造る巣について述べています。シュレーゲルが見た冬の巣は、ミズゴケで造られていました。
2.『日本動物誌』
シュレーゲルは『日本動物誌』の共著者としても知られています。日本のカヤネズミが世界で初めて記録されたのが、この『日本動物誌』でした。
シーボルト(1796~1866)が日本で集めた標本をもとに書かれた『日本動物誌』には、次のような短い一文があります。「ヨーロッパ最小のネズミであるカヤネズミは日本にもおり、粘土質の耕地にいる。日本では”ハッカネズミ Hakka-nezumi”と呼ばれている」。
「粘土質の耕地」の意味はよくわかりません。シーボルトの『江戸参府紀行』によると、当時の西日本ではコメとムギの二期作が広まっており、コメの収穫後は田の中に土を盛り上げてムギを作っていたようです。カヤネズミはこのような耕地を利用していたのかもしれません。
また、当時の日本ではハツカネズミとカヤネズミは区別されていなかったようです。江戸時代の上方ではネズミの飼育がはやり、愛好家向けの飼育手引書も書かれたのですが(写真②)、カヤネズミであると断定できるようなネズミは登場していないようです。
3.「カヤネズミ」という名の初出は?
私が確認できた限り、「カヤネズミ」という呼び名の初出は、『日本百科大事典 第二巻』(1909年)です。ここには「“かやねずみ”は一に“はかねずみ”といふ。此中、Micromys minutus
japonicusは四国・九州に産し、同種の一亜種は対馬に産す」とあります。この記述のもとになった標本はロンドンの自然史博物館に送られ、オールドフィールド・トーマスによって記載されました。
「本邦に於ける哺乳動物の分布状況(青木文一郎)」(『動物学雑誌』1913年)ではカヤネズミまたはカワネズミと記されています。
『日本産鼠科』(青木文一郎、1915年)にはカヤネズミとハカネズミという二種類の呼び名が使われており、産地として対馬、四国、九州が挙がっています。ハカネズミという呼び名は、『日本動物誌』中のハッカネズミと関係があるのかもしれません。
本州の個体が日本人の学者によって記載されたのは1931年のことでした。「カヤネズミ本州に確実に産す(黒田長禮)」(『Amoeba(アミーバ)』1931 Vol.3-3)には、静岡県の伊豆で採集した親子のことが書かれています。
これより少し前に出版された『鳥獣草木十二か月 お伽理科』(荒井霞外、1909年)には、カヤネズミのことを書いた小話があり、麦の茎をつたうネズミの挿絵がそえられているのですが、題名は「野鼠夫人の伝」となっています。このようにカヤネズミという呼び名が定着したのは、それほど古い時代のことではなかったようです。
4.減っていく草地とカヤネズミ
近代農業が普及する以前、特に山に近い農村では屋根材のほか、田畑に投入する緑肥や牛馬の飼料とするため、広大な草地が必要でした。牛馬の糞も大切な肥料になりました。明治16年の統計によると、250万頭近くの牛馬がいたそうです。草地の管理法は用途によって異なっており、農地周辺には多様な草地が広がっていました。草は大切な資源であり、草をめぐる争いが頻出したようです。
当時のカヤネズミ個体数を知る直接的な手がかりはありませんが、農地周辺の草地が急激に減少もしくは消滅したことを考えると、これからの日本はほぼまちがいなく、カヤネズミにとって暮らしにくい環境になるであろうと思われます。
カヤネズミという言葉が広く使われるようになり、草で巣を造る小さなネズミの存在が自然を愛する市民にも知られるようになってから、たかだか100年しかたっていません。この短い時間のうちに、カヤネズミが安心して暮らせる豊かな草地は加速度的に失われてきました。
カヤネズミに限らず、生物の長期的な保全には生活史や生態の解明が欠かせません。カヤネズミが暮らしていくには、さまざまな草が次々と生えてくるような場所が必要だと思われます。小さすぎて野外での観察がとても難しい生き物ですので(写真③)、農地や湿地や河川敷といった植生その他の条件が異なった場所での観察、あるいは動物園での飼育や研究者による営巣実験など、さまざまな場所や状況下でのデータを積み重ねていくことが、今後の重要な課題となるでしょう。
※5回に渡る連載をお読みくださった皆様、ありがとうございました。お気づきの点がございましたら、ぜひご連絡下さい。よろしくお願いいたします。
2014年8月15日:寄稿 4.河川敷のカヤネズミ 猪名川(伊丹市)での観察記録 西尾ゆう子
河川敷はカヤネズミの主要な生息地とされており(全国カヤネズミネットワーク「全国カヤマップ2005特別版」)、観察会などもよく行われています。
カヤネズミに興味を持ちだしたころは、「カヤネズミはオギやススキやヨシの群落にしかいない」と思いこんでいたのですが、視点を変えて観察してみると、河川敷のカヤネズミが意外な場所でも営巣していることがわかってきました。
1、春 (オオスズメノカタビラなど)
写真の巣は、低水敷のイネ科草優占地にあった巣(2013年)。カモジグサやオオスズメノカタビラなど、複数の巣材を使っているようです。
写真のも同じ低水敷にありました(2014年)。ただしこの巣があったのは、イネ科草の優占地ではなく、背丈よりも高く茂ったセイヨウカラシナ群落の中でした。カヤネズミは群落内にぽつぽつと生えていたネズミムギなどを利用したようです。
やがてネズミムギなどが枯れてくると、伸びてきたセイバンモロコシに巣が見つかりました。白く見えるのは外来種として問題になっているワルナスビです。
2.夏(オギ)
夏になるとオギが伸びてきます。写真の巣は高水敷のオギ群落で見つけたものです。
この場所では毎夏、カヤネズミの空中巣を確認できます。
写真もカヤネズミが造ったものと思われますが、吊り輪状になっています。
従来、このような巣は「造りかけ」の巣とされてきましたが、カヤネズミがさまざまな形の巣を造って利用していることがだんだんわかってきました。上野動物園での飼育記録によると、雄も雌も粗い巣の中で寝ることがあり(宮田桂子「カヤネズミのゆりかご作り」)、野外の営巣実験でもカヤネズミがいろいろな形の巣を造ることが確認されました(石若礼子・増田泰久、2012年日本哺乳類学会ポスター発表)。
カヤネズミが造るさまざまな巣の機能については、新事実が解明されるのではないかと期待しています。
3、秋(台風後、土手のチガヤ、ススキ)
2013年には台風18号による大雨のため、猪名川では護岸が崩れるほどの被害がありました。
11月6日に訪問したところ、増水に耐えたオギ群落や浸水しなかった土手のチガヤ群落で多くの巣を確認できました。写真は土手のチガヤ群落にあった巣です。この土手にはワレモコウもひっそりと咲いていました。
ただし、土手の下の草が短く刈りこまれていたり、グランドとして整備されていたりすると、巣は確認できませんでした。営巣場所を選ぶカヤネズミにとっては、営巣植物以外に周囲の植生も重要なのかもしれません。
4、冬(イネ科越冬株、ギョウギシバ)
冬にカヤネズミの巣が見つかった場所は、春~秋に巣を確認できた場所から離れていました。写真の巣があったのは、夏に巣が造られていたノギナシセイバンモロコシ群落からは数十メートル下流に行った場所です。
台風後に多くの巣があった土手のチガヤ群落はきれいに刈られていました。カヤネズミはどこで冬を越しているのでしょう。土手のすぐ下に広がっているギョウギシバ群落に移ってきたかもしれません。
そこで、ギョウギシバの中をゆっくり歩きながら探してみると、枯草に隠れるようにしてカヤネズミの巣がありました。
河川敷に広がるさまざまな植生を利用しているカヤネズミの生息環境保全のためには、オギやヨシ以外の草本群落の状態も視野にいれながら、餌の内容や採餌場所などの具体的な生態にかかわるデータを蓄積していくことが大切ではないかと思います。
2014年6月14日:寄稿 3.農地のカヤネズミ 山間部農地での観察記録 西尾ゆう子
従来、カヤネズミは春から秋にススキやオギなどの高い位置に球状の巣(空中巣)を造り、育仔や休憩に利用するとされてきました。しかしながら、カヤネズミは一年を通して、さまざまな草地に営巣していることが少しずつわかってきました。
今回は、自宅(兵庫県猪名川町)近くにある山沿いの農地周辺での観察例を紹介し、カヤネズミの巣が見つかった場所の季節変化をたどっていこうと思います。
1、春 (カモジグサ、ネズミムギなど)
写真①の巣は、農地に隣接した細い川べりに生えたイネ科の越冬株(カモジグサ?)の中に造っていました。
イネ科の雑草には、幼苗や株の姿で冬を越し、春になると一気に生長するグループ(ネズミムギ、カモジグサなど)と、暑い時期に勢いよく茂って冬には枯れてしまうグループ(ススキ、オギ、エノコログサなど)があります。緑の葉をつけた状態で冬を越したカモジグサや外来種のネズミムギなどは、春になるとぐんぐん伸びてきます。カヤネズミはこのようなイネ科も営巣に利用します。写真②は、ネズミムギを利用した巣です。
写真③は、最近、増えてきた外来種のオオスズメノカタビラを使った巣です。巣立ち間近と思われる仔どもの顔がのぞいています。
2.夏(ツルヨシ)
春に茂っていたイネ科草本の多くは、梅雨のころになると枯れて倒れてしまいますが、このころには、暑い気候が好きなツルヨシやオギなどが生長してきます。写真④は、中州のツルヨシ群落です。
写真⑤は、ツルヨシ群落に造られた巣です。
6月以降、ツルヨシは川の中にも進出し、どんどん広がっていきます。暑い盛りに確認できたカヤネズミの巣は、すべてツルヨシ群落に造られていました。
3、秋(イネ、草刈り後のオギ)
8月に入るとツルヨシ群落では新しい巣を確認できなくなりましたが、川のそばにある水田でイネが育ってくると、イネの穂先に多くの巣が見つかるようになりました。写真⑥は、ツルヨシ群落が茂っていた川のすぐそばにあった水田の巣です。
不思議なことにカヤネズミの巣がある田んぼは決まっており、多くの巣が見つかった隣りの田んぼでは、巣を確認できないことが何度もありました。そうかと思うと、100mも離れた別の田んぼで多くの巣が見つかったこともあります。また、巣のあった田んぼの畔も営巣に利用していました。
この年の9月16日、台風18号がもたらした大雨で川が増水し、ツルヨシ群落はすべて倒伏してしまいました。20日ころから稲刈りも始まりました。カヤネズミたちはどこに行ったのでしょう。
川の土手の上に、膝の高さまでしか伸びていないオギとチガヤの草地がありました。ここを探してみると、呆れるほど多くの巣が見つかりました。どの巣も青々としています。最近造られたのでしょう(写真⑦)。巣の左下に見えるのは500mlペットボトルの蓋です。
ところがこの場所では、その後、カヤネズミの気配がなくなりました。
4、冬(カモジグサ、ネズミムギ、枯れ草)
新しい巣が見つらないまま、どんどん寒くなってきました。そこで春に巣があった川辺を探してみることにしました。すると、青々と茂ったカモジグサ類の越冬株に真新しい巣がありました(写真⑧)。12月末にはすぐ近くの場所で繁殖も確認できました。
ところが、その後は新しい巣が見つからなくなりました。
他の場所での観察で、カヤネズミが冬になると枯草の下にも巣を造ることがわかっていましたから、田んぼに隣接していたエノコログサの群落を探してみることにしました。エノコログサは夏から秋に種子をつけ、冬には枯れてしまいます。写真⑨は、枯れて倒れたエノコログサの下にあった巣です。
そして2014年春。昨年と同じ場所に新しい巣がありました(写真⑩)。みずみずしい緑色の巣を見るたび、カヤネズミは元気に暮らしているのだろうと思ってうきうきしてきます。
一年間、農地と周辺の草地で観察を続けた結果、カヤネズミが季節に応じてさまざまな草地を、それこそ縦横に利用していることがわかってきました。
山ぞいの狭い農地などでは、大規模な圃場整備ができないこともあり、何世代にもわたる人々が知恵を絞りながら耕作を続けてきたのだと思います。農地のカヤネズミたちは、このような農業のあり方にうまく寄り添いながら、ひっそりと生きてきたのでしょう。
農地のカヤネズミの暮らしについては、まだよくわかっていません。さまざまな視点からの観察データが蓄積され、今後の保全に役立つことを願っています。
2014年5月15日:寄稿 カヤネズミの冬の暮らし 2.繁殖例 西尾ゆう子
1.冬の地表巣でも出産
写真①の画像は、前回「カヤネズミが冬に造る巣」の例として紹介したものです。この巣の中には複数の仔がいました。反対側の側面にあった小さな開口部から、そっとのぞくと、もぞもぞと動くビロードのような小さな背中と黒い尻尾が見えました。
巣をあけて確認できないので、正確な頭数まではわかりません。
3日後に再訪すると、巣はすでに空になっており(写真②)、以前とは反対側に開口部ができていました。引っ越ししたのか、仔どもたちが成長したのかはわかりません。どうやらカヤネズミは冬でも繁殖するようです。カヤネズミの繁殖期は春から晩秋にかけてとされてきましたが、群馬県でカヤネズミを調べた宮原義夫さんによると、12月のはじめに7頭の仔が巣立っていったそうです。(宮原義夫著「ススキの原の小さな住人 カヤネズミの話」)しかしながら群馬県の巣は、地面に積もった枯草の中に造られていました。一般的にカヤネズミは、寒くなると高い位置には巣をつくらないとされているようです。
2.開けてビックリ、仔の遺骸が…
写真③は伊丹市の猪名川河川敷、アシ群落にありました。12月21日のことです。地上からの高さは1.5mほどもあり、目の高さよりも少し上になります。すでに使われなくなった夏の巣だと思って、不用意にも巣を開けてみたところ、なんと2頭の仔が巣材にもぐり込むようなかっこうで死んでいたのです。詳しい方に画像を送ってみてもらったところ、巣立ち直後の生後15~16日ということでした。前日の最低気温が一気に-2.9℃まで下がっていましたから、若くてうまく餌をとれなかったために凍死したのかもしれません。この2頭は大阪の自然史博物館に送りました。
3.親が戻ってこなかった…?
写真④の巣は、同じ川の3km上流の河川敷にありました。ノギナシセイバンモロコシ、ネズミムギ、ヒメムカシヨモギ、エノコログサなどが多い場所です。この巣はノギナシセイバンモロコシに造られていました。地上からの高さは60㎝。
巣内には4頭の仔の遺骸が残されていました。生後6日ほどだそうです。特に痩せている様子もなく、めだった外傷もありませんでした。親が捕食されて巣に戻れなくなったために死亡してしまったのかもしれません。このように、残念ながら巣内で仔が死亡しているケースもありましたが、写真①の巣のほかにも、無事に巣立っていったと思われる事例が観察できました。
4.冬の繁殖成功例
写真⑤は、川べりの枯れたツルヨシ群落で見つけた繁殖中の巣です。地上からの高さは、ほぼ80cm。巣内には複数の仔がおり、背中には毛がはえそろっていました。11日後に再訪したところ、巣はすでに空になっていました。
写真⑥は、農地に隣接したネザサ群落にあった巣です。地上からの高さはほぼ50cm。天井近くに小さな開口部があり、仔がじっと外をのぞいていました。仔の数はわかりませんが、1頭がスルスルと巣から出ていきました。このように12月~1月という厳寒期であっても、カヤネズミが繁殖する場合のあること、空中巣と地表巣の双方が繁殖に使われることがわかってきました。そして、冬季の観察を通して、カヤネズミの巣を確認できる場所が、季節によって移動していることに気づきました。
次回は、山間部の農地での観察をもとに、カヤネズミの巣がよく見つかる場所が、季節によってどのように変わっていくかを追ってみたいと思います。
2014年4月18日:寄稿 カヤネズミの冬の暮らし 1.冬季に造る巣 西尾ゆう子
1、足元で見つけた小さな巣
昨年の12月末、自宅近くの農地を縫って流れる小さな川のほとりを歩いていた時のことです。地面に接して左のような巣があることに気づきました。枯れ葉と緑の草を使ってうまくまとめています。直径は7cmほど。
実はこの小さな巣は、カヤネズミが造った巣です。カヤネズミは日本に棲むネズミの仲間では最も小さく、成長しても頭から尻尾のつけねまで6~7cmほどしかありません。
カヤネズミには、主にイネ科の草を利用して球状の巣を造るめずらしい習性があります。
右の写真はツルヨシに造られたカヤネズミの巣。草地の観察会などでこのような巣を見かけた方も多いのではないでしょうか。
カヤネズミが、空中に造られた巣(以下、空中巣)とは別に、地面に接した場所にも巣(以下、地表巣)を造ることは、日本では1960年代から報告されていたのですが、このような習性は一部の研究者を除くと一般にはほとんど知られていませんでした。
2、野焼き後の黒焦げ巣
カヤネズミに興味を持ちはじめたころ、冬をどこですごしているのか不思議でたまりませんでした。
そのようなとき、野焼き後に見つかる黒焦げになった巣についての論文があることに気づきました。九州の久住高原での調査により、地表に接する形でススキの株元に造られていた巣の営巣時期がわかったのです。
この調査では、ススキの葉に含まれるミネラルの比率が決め手になっていました。ススキは秋になると葉の構造物に沈着したミネラルを残して多くのミネラルと養分を根に送り、冬に備えます。つまり、黒焦げになった巣に使われていたススキのミネラルの比率を計量することで、その巣が造られた時期を推測できるのです。
野焼き後のススキ草地を訪れれば、今まで見てきたものとは違ったカヤネズミの巣を確認できるかもしれません。
左上の写真の巣を持ち帰ってほぐしてみたところ、巣の中には大量の糞が残っていました。目分量ですが数百個ほどありました。カヤネズミが比較的長いあいだ、同じ巣を使っていたのかもしれません。
3、雑草地の地表巣
岩湧山での観察により、地表巣が造られる場所や巣の形がわかってきたので、ススキ草地以外の場所でも同じような巣を見つけられるかもしれないと思うようになりました。そこで、それまでは気をつけて観察してこなかった場所、つまり、冬枯れになった雑草地の足元にも注目することにしました。
右の巣は、枯れて倒れたエノコログサの下に隠れるように造られていました。うまい場所を探すものだと感心したことを覚えています。同じ巣をしばらく観察してみることにしました。
西尾ゆう子(兵庫県猪名川町在住)
1958年生まれ。小学生のころ、高校の生物教師だった父との有栖川(京都市郊外)のほとりを散歩したおり、初めてカヤネズミの巣を見た。子どもたちが成長後、大阪市立自然史博物館の観察会に参加して40年ぶりに巣を確認。九州の「久住牧野の博物館」による研究を知り、カヤネズミには思っても みなかった営巣習性があることに気づき、観察を続けている。
12日後には、開口部ができていました。どうやらカヤネズミは同じ巣を使っているようです。
枯葉と緑の葉を使って地表に造られた巣は、他の場所でも見つかりました。
この巣もしばらく観察を続けたのですが、カヤネズミが新たに手を加えた痕跡はなく、だんだん崩れていきました。地表巣にも、比較的長いあいだ使うものと、そうでないものがあるのかもしれません。
右の巣は、これまでとは別の場所、伊丹市の猪名川河川敷で確認した巣です。
わずかですが、緑の葉を裂いて巣の中に持ちこんでいました。
外層に新たに緑の葉を巻きこんだりするなど、比較的長いあいだ、カヤネズミが使っていたと思われる痕跡がありました。
こうして、カヤネズミが枯れた葉と緑の葉をうまく混ぜあわせながら、地表に接した部分にも巣を造ることがわかってきました。
では、地表部に枯葉しかない場合、カヤネズミはどのような巣を造るのでしょう?
次は、そのような巣を探してみることにしました。
4、枯葉だけで造られた地表巣
左の写真は、ここで紹介した、いくつかの地表巣があった場所のすぐ近くで撮影したものです。エノコログサが一面に茂っており、休耕地だと思います。そばにある水田では、イネ刈り前にカヤネズミの空中巣を確認できました。
折り重なるようになったリター(分解していない枯葉)を、そっとどけてみると、カヤネズミが地表に接して巣を造っていました。
枯れたリターが外層の役目を果たすためだろうと思いますが、この巣には空中巣で見られるような長い葉を巻きつけた外層部がありません。
このような巣の場合、巣の底に接する地面がわずかにくぼんでいることが多いです。
この場所の地表部には、大量の種子が落ちていました。カヤネズミのように小さな動物が冬を越すには、餌をしっかりとって体温を維持しなくてはなりません。これらの落下種子は、カヤネズミの冬の生活をささえているのではないかと思います。
ほとんど知られていませんが、カヤネズミはお皿のような形の巣も造ります。
このような巣については、白石哲『カヤネズミの四季』(文研出版)にも絵入りで説明されています。
カヤネズミの冬の暮らしについては、まだよく分かっていないのですが、条件によっては、冬にも繁殖しているようです。次回は冬季の繁殖例について報告しようと思います。